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これって、おやつなの!? オカズなの!? 謎だらけの食べ物、『心太』。

oriori編集部

初夏の声を聞くころ、甘味処のお品書きに登場してくるのが、「心太」です。甘味処にありながら、酢醤油とからしをつけて食べる、何とすれば青のりやゴマまでかかっているという、甘味というよりも、惣菜といった風情の食べ物です。酢醤油とからしで食べるものが甘味処にあることも謎なのに、なぜ「心太」と書いて「ところてん」と読むのかも謎でした。それに加えて、関西の一部地域では黒蜜ときな粉を掛けて食べられているのも、また謎のひとつです。

このところてん、いつ頃から食べられているのかと歴史を調べると、日本には奈良時代ごろに中国から伝わってきたそうで、同時代の正倉院文書に、東大寺写経所の写経生にところてんが支給されていたという記録が残っているそうです。
また、室町時代に成立したとされる職人を題材とした『七十一番職人歌合』(しちじゅういちばんしょくにんうたあわせ)には、「心太売(こころぶとうり)」をする女性の姿絵が載せられていて、この頃すでに現在と同じように天突き器でところてんを突いて麺状にしていたことがうかがえます。また、「心太売」と対になっている職人は「酢造(すつくり)」であることから、既にこのころから酢でところてんを食べていたことが推測できます。

さて、そのところてん、何からできているのかというと、テングサと呼ばれる海藻です。ここでいうテングサとは、1種類の海藻を指すのではなく、マクサやオニクサ、オオブサ、ヒラクサなどの複数の海藻の総称です。大体が、赤色の紅藻類なのですが、真水で洗って、天日に干してを繰り返すことにより、色があせて、黄金色を呈すようになってきます。この白っぽくなった海藻を煮溶かしたトロトロした煮汁は、温度が下がると凝固するようになります。これがところてんです。カロリーが少なく、食物繊維が豊富で、腸内環境を整えるのに向いているといわれます。また、血糖値の上昇をゆるやかにすることから健康食品とされています。

原料となっているテングサは古くは、「こるもは」と呼ばれていました。「こるも」というのは「凝る(こごる)藻」つまり固まる海藻という意味で、その煮凝らせたものは「こころふと」と呼ばれ、「心太」の字が当てられました。やがて「こころふと」が「こころてい」→「こころてん」→「ところてん」へと転訛していったのだということです。先に挙げた正倉院の書物中では「心天」と記されていることから、奈良時代にはすでにこころてんまたはところてんと呼ばれていたようです。呼び名は変化しても、漢字は「心太」のまま残ったのでしょう。

その後、江戸時代に入って、ぜいたく品であったところてんは庶民の間にも広まっていきました。江戸時代の三都(京都・大阪・江戸)の風俗・事物を説明した随筆集『守貞謾稿(もりさだまんこう)』には、京都・大阪では砂糖をかけ、江戸では醤油か砂糖をかけて食べていたと書かれています。磯の香りの残るところてんは、江戸では酢醤油にからしをつけてさっと食べるのが『粋』とされたのではないでしょうか。大阪では、葛きりに黒蜜ときな粉を掛けて食べる習慣があったことから、見た目の似ているところてんにも掛けるようになったのだと思われます。また、四国の一部地域では、めんつゆや出汁で食べられているそうです。まるで麺料理のようですね。

『守貞謾稿』の挿絵を見ると、江戸では棒手振りのところてん売りによって売られていたようで、夏の盛りに涼を呼ぶ食べ物として人気だったようです。和菓子のような甘味ではありませんが、つるりと食べやすいところてんは、暑い夏に一服の清涼を与えてくれるおやつのような存在だったのでしょうか。だとすると甘味処に置かれているのも合点がいきます。関西では夏場にお好み焼き屋などに置かれていることもあるようです。

ところで、ところてんの日というのがあるのですが、それはいつでしょうか? ところてんは夏の季語ですが、残念ながらところてんの日は夏真っ盛りではなく、6月の10日です。毎年5月下旬に解禁を迎えるテングサ漁の解禁日に近いことと「ところ(6)てん(10)」の語呂合わせからこの日になったそうです。

こうやって、ところてんの歴史を見ていくと、たくさんあった謎もずいぶん解消されました。
例年になく暑い日が続いている大暑のこの頃、お好きな食べ方で、よく冷えたところてんを楽しんでくださいね。

文:oriori編集部