1.鎌倉という地に店をオープンして約30年
「えっ!?お店はどこ?」と曲がり道に戸惑いながら辿り着いた「無心庵」。
江ノ電「和田塚」駅の改札真向かいに位置しつつも、駅から直結で行けないもどかしさを味わいつつお店に辿り着けば、「着いた~!」と、ちょっとした高揚感を煽ります。
約30年間、鎌倉というこの場所で、創業時から変わらぬメニューを提供し続ける「無心庵」。
暖簾をくぐり、手入れされた庭を抜け、玄関口に佇むと、昭和を感じるレトロな家具や囲炉裏が目に入ります。靴を脱ぎ先に広がるのは、畳の間。思わず肩の力も抜ける、優しくて懐かしい場所、それが「無心庵」です。
それもそのはず。お店は元住居。店主である佐藤徳子(さとうのりこ)さんのおばあ様が住んでいたご自宅なのだそう。「障子を全てはずしただけで、また住もうと思えば障子をはめるだけなんですよ」と徳子さん。
子どもの時から慣れ親しんだ場所が、甘味処へと姿を変えたのは、1991年のこと。徳子さんのお母様が「豆かん」にこだわったお店をやりたい、とオープンさせたのだそう。
2.「豆」は炊き上がる一瞬を見逃さず!
豆かん、あんみつ、みつ豆、お汁粉…
メニューに並ぶのは、至ってシンプルな甘味処ならではのメニュー。でもこのほとんどが、創業当初から変わらずで、作り方も食材も器も変わらない。昔来た方が、時を経てまた訪れれば、あの当時にタイムスリップした感覚にもなるのかもしれません。
クリームあんみつ 850円(税込)
これはお店一番の人気メニュー。なんて言ったって「映え」てますから。でも、「無心庵」のいちおしはもちろん「豆かん」。徳子さんのお母様が一番こだわり、お店を始めるきっかけにもなった「豆かん」なのです。ということで「豆かん」の豆にヒューチャーしてみたいと思います。
このほんのり紅をさした豆ですが、塩気は、気付くかな?程度にさりげなく、ほっくりと上品な味わい。あんみつの食材のなかでは、自己主張するより、協調性を大事にするタイプ。でもなくてはならない存在。そんな印象を受けます。
豆は、一晩水にひたし、炊き上がるまで蓋を一切開けらず(開けると黒く変色するため)、ひたすら火の番。炊き上げ加減が途中でチェックできないので徳子さんの勘ひとつで出来上がりの良し悪しが決まります。
炊き上がりは、豆が割れる寸前であって、割れてもダメ。その一瞬を見計らい、火からあげて、すぐに水で冷やす、この工程が、日々苦労する手仕事のひとつなのだとか。
「湿度や気温、季節によって、新豆かそうでないかでも炊き上がる時間が変わってきます。本当に仕上げるのが大変だから、皆さん、どうされているのかしら?ってよく思います」と、その苦労をも今は慈しむかのように話してくださった徳子さん。
肝心のお味は、そりゃあもう笑顔になりますから! 食べに行ってご自身で体感してみてください。
3.野草が随所に華を添えるお庭
そして、無心庵の見所のひとつに、景観があります。
軒先から見渡せるパノラマ大のお庭。
毎日手入れを欠かさず、四季折々の草花が私達を楽しませてくれます。
店内には、お庭で摘んだ草花が彩りを添えていました。
「うちのような古い家には、買ってきた花でなくて、こうした野花が似合うと思うので」と、お庭に咲くお花を店内に活けるのだそう。そのため、庭には、咲くタイミングが少しずつ異なる約120種の野草が散りばめられています。それも、おもてなしの心。
そして甘味と合わせて、もう1メニューご紹介したいのがこちら。
いそべ 850円(税込)
この何とも素朴な風貌がご愛嬌。香ばしく網で焼き上げたお餅をさっと醤油にくぐらせ、のりで巻いて。箸休めには、栗の甘露煮と麦茶。至って普通ではあるけれど、普通じゃないのであります。
空間と、この“いそべ”と、この味わい。
甘味とともに、ほっとする景観を眺めて時間をひととき過ごせば、帰路にはスキップしちゃうほど心軽やかになっているかもしれません。そんな時間と美味しさがここにはありました。
取材・文:田中恵子/撮影:山本聡