三堀純一 Profile:
1974年、神奈川県横須賀市生まれ。
横須賀市にある和菓子店「和菓子司いづみや」の3代目として誕生。幼少期から和菓子に触れ、東京製菓学校和菓子本科で学ぶ。煉り切りの魅力に惹かれ、アーティストとしても活躍中。
2016年、茶道に倣いおもてなしの心と和菓子を振る舞う「菓道 一菓流 」を開く。国内外からその作風や作法を求めるオファーが多く、2016年から3年連続「SALON DU CHOCOLAT」にも出展。日夜、和菓子の在り方について発信している。
日本に茶道、華道、または武道と「道」がつくものが数あれど、ありそうでなかったのが「菓道」。2016年に日本の伝統の1つ、和菓子に新たな「道」として光をあてたのが「菓道 一菓流 」の開祖・三堀純一氏。
その手から生み出される挟み菊や針切り菊など数々の練りきりは注目を浴び、国内では政府のFacebookにも紹介され、海外ではパリで開催されるチョコレートの祭典・SALON DU CHOCOLAT(サロン・デュ・ショコラ)に3年連続出展。
今のままでも、超がつく一流和菓子職人、和菓子アーティストの名を手にした三堀氏がなぜ「菓道」を開いたのか。お話を伺いました。
1.菓道の原点とは
—— なぜ、これまでになかった菓道を開かれたのでしょうか。
1番のきっかけは、お茶のお点前の席ですね。最後に今日のしつらえとか説明してもらえるじゃないですか。掛け軸は書道家、お花は華道家、器は陶芸家。なのに和菓子は「どこどこの和菓子屋さんです」って屋号だった。
その時、ハッと気付いて。屋号の和菓子だけ個人を感じなかったんですよ。個がみえない。
—— 言われてみるとその通りですね!その作品を作り出したのがその人だとわからないと。そのことについてどのように思われたのですか?
子どもの頃、和菓子職人になることに抵抗があった理由に、和菓子職人になんとなくの田舎さを感じていたんですよね。若者がパティシエに憧れる気持ちはすごくわかるんです。そこにはお洒落さがあったりファッション性があったりして。
私が子どもの頃は町のケーキ屋さんには、不二家さんやコトブキさんと同じようなケーキが並んでいたんですよね。価格帯も一緒で、ショーケースにあるものもシュークリーム、ショートケーキ、チョコレートケーキ、モンブラン。
それがある時を境に、変わったんです。パティシエという言葉が出てきた時に。町のケーキ屋さんがパティスリーになって、シュークリームがシュー・ア・ラ・クレームになって、シュー・ア・ラ・クレームになった途端に100円だったシュークリームがいきなり500円になったんですよ。
その理由の1つは逆輸入ですね。お世話になっているパティシエの辻口博啓さん達が、ヨーロッパのコンテストで評価された。海外の評価を得たことが大きいと思うんです。洋菓子の世界に限らず着物とか日本刀とか最近だと春画、浮世絵も最初はヨーロッパの評価。ヨーロッパで白人がクールだって言われてから日本人が誇りに思うんですよね。
パティシエって個の世界なんですよね。売っているのは菓子じゃなくて個。個を売っているので子どもの憧れになりやすい。
—— 確かにパティシエは監修されたお菓子もありますし、ついお店も行ってみたくなりますよね。
有名なとこなら500円のシュークリームでも値段をあまり気にしないで買いますよね。
あれを和菓子でやろうと思ったら、和菓子がブランドの力を持たないといけない。そして、そのブランドにシフトするには何かきっかけがなくちゃいけない。それにワンバウンド置きたかったのが菓道家なんです。
—— 菓道家というブランドで和菓子も個で売れる時代にしたいということですね。
今の時代、町の和菓子屋さんはコンビニに押されているんですよ。機械のクオリティがあがってきて、和菓子はスーパー、コンビニで手に入るようになった。存在意義を奪われているんです。
—— 確かに気軽に食べようと思ったら和菓子をコンビニやスーパーで買うことが多い気がします。
それでも世の中には「和菓子が好き!」って言ってくれる人達もいて、和菓子屋に興味持ってくれている。そういう和菓子好きな人達が今、実際にやるなら、と目指すのがアーティスト性のある和菓子屋さん。若い人たちに向けたファッション性の高い和菓子アーティスト。
でもそれが出始めた時に、和菓子業界は、あんなの和菓子じゃねえっていうスタンスだったんです。
—— うーん、なんとなく想像がつきそうな話ですね。
「あんなの和菓子じゃねぇ、王道和菓子を残すんだ」って言って。若者の新しく出てきた芽に対する姿勢がものすごくナンセンスにみえたんですよね。
例えば私の地元でも、神輿好きだっていう子達がせっかく来ても長年担いでいるおじいちゃん達は「これは神事だぞ」って、言うこときかない奴に肩入れさせねぇとかって言うから、そのうち若者が寄っつかなくなるんですよ。
それでそのお祭りが大好きなおじいちゃん達は、今、「いやぁ担ぎ手がいなくてよ」って言ってる。いや、それさ、伝える気ないじゃん?!とか思って(笑)。その同じような構図が和菓子の世界に見えたんですよね。
—— とてもわかりやすい例えですね!
和菓子職人は、プロフェッショナルな集団なので確かに技術は持っている、知識もあるんです。一方で和菓子が好きな和菓子アーティスト達は技術に未熟さを感じますが、若者の心を引くだけのファッション性は出しているんです。
だったら見習うところは見習って、何かやれることがあるんじゃないかって考えて辿り着いたのがプロがアーティストやります、っていう立ち位置なんです。
—— 和菓子職人と和菓子アーティスト、どちらを併せ持ったのが三堀さんですね。
プロがアーティスト活動をやるのであれば、菓道家なら菓道家として、華道や茶道と同じで、それだけで食べられるお仕事にならないといけないと思いましたね。