
6月16日は和菓子の日。嘉祥の日とも呼ばれ、お菓子を食べて厄除招福を願う「嘉祥(定)」という行事を由来として全国和菓子協会が制定した記念の日です。
その和菓子と切っても切れない関係にあるのが「お茶」の存在です。和菓子とお茶は、日本の食文化において深く結びついています。和菓子はお茶の味わいを引き立てる役割を果たし、その香りや食感が茶の苦味や渋みと絶妙に調和します。この二つは、ただ単に食べ物と飲み物という関係にとどまらず、合わさることで日本の美意識や季節感をも醸成し、日常生活においても重要な役割を果たしているのです。
5月初旬の「八十八夜」の前後から一番茶と呼ばれる新茶の収穫が始まり、梅雨前の今頃は二番茶と呼ばれる茶葉の収穫時期です。一番茶はテアニン(旨味成分)を多く含み、爽やかな香りとまろやかで風味豊かな味わいが特徴で、二番茶以降は、カテキン(渋味成分)やカフェインが多くなり、苦みや渋みが強いのが特徴です。
日本でお茶が広く飲まれるようになったのは、鎌倉時代の頃。臨済宗の開祖・栄西が中国からお茶の種を持ち帰って栽培を始めたのがきっかけです。既に奈良時代には、天台宗の開祖・最澄によって日本にお茶が伝わっていましたが、栄西がお茶を広める前は、日本でお茶を飲む習慣はほとんどありませんでした。上流階級の限られた人だけがときどき口にできる貴重なものだったのです。
当時のお茶は、蒸した茶葉を細かく砕き、お湯を加えて飲む、今でいう抹茶に近いものでした。これがいつしか、「茶の湯」と呼ばれる利休の茶道へとつながっていったのです。和菓子は、その歴史において、茶の湯の隆盛と共に発展してきました。茶室という限られた空間の中で、茶を点て、菓子を味わう文化が花開いた室町時代。茶室は、簡素で質素な空間であり、そこに置かれる和菓子も、シンプルで美しい、自然の素材を活かしたものが好まれたのです。
緑茶と呼ばれる日本茶が作られるようになったのは江戸時代。元文3(1738)年に宇治の茶業家、永谷宗円(ながたに そうえん)によって、日本独自の製茶法「青製煎茶製法(あおせいせんちゃせいほう)」が確立され、それまで茶色をしていた煎茶が、鮮やかな緑色の水色(すいしょく)を出すことができるようになったのです。当時、宇治の高級碾茶は特定の御茶師以外には作ることが許されておらず、煎じ茶製造農家の宗円は法に触れない露天栽培のやわらかい新芽を使った新しい煎茶をつくり出したのです。そして、この新たな製法は、日本におけるお茶のスタンダードとなりました。
その後、1835年には、高級な煎茶を開発しようと試みた茶商「山本山」の六代目山本嘉兵衛(やまもと かへえ)が、抹茶の原料である碾茶の栽培方法である「被覆栽培」を煎茶にも応用し、玉露が誕生します。通常、煎茶を作る場合は遮光をしませんが、玉露や抹茶用のお茶の場合は、収穫する20日ほど前から、茶の木を遮光幕で覆って日光を遮り、一定期間栽培する方法を取ります。この遮光によって、テアニンが増加し、カテキンの生成が抑制され、まろやかな甘みと旨味が特徴の玉露に仕上がるのです。玉露や抹茶といった旨味を大事にするお茶は、一番茶の茶葉から作られます。
また、玉露や抹茶からは「覆い香(おおいか)」と呼ばれる青のりや磯の香りに似た、独特の香りがします。覆い香は、高級茶の品質を示す指標の一つでもあり、茶葉の旨味と香りのバランスが良いものが高く評価されます。
ここで、お茶の味とお湯の温度の関係についてひと言。
お茶の味は、淹れるお湯の温度によって大きく変わります。具体的には、高温だと苦みや渋みが強く、低温だと甘みや旨味が際立ちます。これは、茶葉に含まれるテアニンやカテキンなどの成分が抽出される量が、温度によって異なるためです。なので、茶葉の種類によっても最適な温度が異なっているのです。例えば、穏やかな渋味を楽しむ煎茶は70~80℃、甘みや旨味を味わいたい玉露は50℃程度でじっくりと、爽やかに香りを楽しむ玄米茶やほうじ茶は100℃で淹れるのが適していると言われています。
抹茶を味わう茶道では、茶席の最初に和菓子が出され、和菓子を食べ終えた後に抹茶を飲むのが作法です。作法があるお茶席とは違い、リラックスしてお茶と和菓子を楽しむ場合は、和菓子とお茶の組み合わせに決まりはありません。季節に合わせた和菓子と一緒に自由にお茶を楽しんでください。
文:oriori編集部