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【榮太樓總本鋪 日本橋本店】江戸っ子に可愛がられて203年。1年限定販売の「しそ飴」と定番「梅ぼ志飴」の違いとは? 知れば知るほど好きになる日本橋の老舗菓子舗

都野 雅子

江戸の中心といえば日本橋。有名な麒麟の像からすぐの場所にあるのが創業1818年の「榮太樓總本鋪(えいたろうそうほんぽ)日本橋本店」です。

有名な「梅ぼ志飴」に「みつ豆」と、ある年代以上の人なら口にしたことも多いはず。「榮太樓」は、昔から変らない味を守りながらも遊び心いっぱいの新しいお菓子をつくっています。

1.梅が入っていない「梅ぼ志飴」に梅が入った新作「しそ飴」

その昔、列車販売でも売られていた「梅ぼ志飴」。梅干しといっても梅の味がするわけではなく、その形が梅干しに似ていたため付けられたのだそう。それも名付けたのは店の人間ではなく、ところの人々。

「榮太樓のとこの赤い、ほら、梅干しみたいなあの飴」、もしかしたら、そんな風に話題になったのかも? それをそのまま名前にしてしまうのもまた洒落ています。

この「梅ぼ志飴」が発売されたのは1857年頃。それから164年後の2021年、10月3日の「榮太樓飴の日」に5年ぶりの新商品として「しそ飴」が発売されました。

この「しそ飴」には梅酢が入り、甘酸っぱさが口に広がりますが、最後にはほんのりとまろやかな甘みが残ります。

この「しそ飴」も「梅ぼ志飴」と同様、高熱の直火でつくられ、有平糖(あるへいとう)と呼ばれる飴菓子を原材料にしており、純度も高いので口が荒れにくいのが特徴です。

梅が入っていない「梅ぼ志飴」と、梅が入っているけれど名前には「梅」がつかない「しそ飴」。これも榮太樓の洒落っ気の1つです。

今後もしばらく新商品を開発していく予定で、そのため、この「しそ飴」ですが販売期間は1年間の限定商品。その気持ちも強く、商品には「2021‐2022」と記されています。

また好評につき早期に販売終了となることもありますので、興味のある方はぜひお早めにご賞味下さい。

ところで、梅干しが入っていない「梅ぼ志飴」ですが、赤い色は何の色かというと、その当時使われていたのは紅花。食用に使われている高価な材料で、榮太樓では材料にこだわった飴づくりを続けています。

高品質な砂糖を使った飴は、ほんのり照りが唇に移れば、艶やかになると明治時代には評判になり、上方の芸者さんや舞妓さんが紅をさす前に唇に塗ったと言われています。
そのため、東京のお土産として喜ばれたそう。

榮太樓の新しいブランドの1つ「あめやえいたろう」の「スイートリップ」も同じく飴ですが試してみるのもおススメです。

2.創業当時から変わらぬ場所で昨年リニューアルオープンした日本橋本店

「榮太樓總本鋪 日本橋本店」は開業当時と同じ場所にあるお店で、2020年8月にリニューアルオープンしました。

高い天井には屋根を模した木組みがあり、江戸の街並みをイメージ。入り口すぐの石畳は創業当時のもので、創業時はそこが店頭であり、そこから奥は職人や小僧さんが働く場所だったそう。

当時の店内は意外と狭くて驚きますが、その分、菓子を買い求めに来た人々が外で列を作って並ぶので、いい宣伝効果となりさらなる商売繁盛につながったといいます。

また、昔ながらの看板も飾られていて新しい空間でも感じられる江戸の雰囲気。以前は本店喫茶室だった場所も「Nihonbashi E-Chaya」(にほんばしいーちゃや)として生まれ変わりました。

「あんバタートースト」や「あんみつパフェ」など気になるメニューがいっぱいです。
また、ここには榮太樓ブランドの全てが揃っているので、お土産にぴったりなものも探せます。

3.皆にかわいがられた栄太郎。名代の出来たての「金鍔」のおいしさ

そしてこの一角にあるのが、出来たての「金鍔(きんつば)」を食べさせてくれる実演販売コーナー。
「選・和菓子職」の青木さんが自ら金鍔を焼いてくれます。

榮太樓の金鍔の特徴は黒ゴマ。上質な甘さの潰しあんを薄く小麦粉の生地で包あんした金鍔に乗せてあります。この金鍔を銅板でじっくり焼き上げるのですが、周りの生地がカリっとして、中は温かく甘く、最後に塩味の黒ゴマが味を締める、いいあんばいです。

その昔、榮太樓が江戸の人々に知られるきっかけとなったのもこの金鍔。
飯能から孫二人を連れて出た先祖の井筒屋・徳兵衛は煎餅屋として店を構え、長孫の安太郎が後を継ぎましたが、はやり病で亡くなってしまい、また次孫の安五郎は他店で働いており、菓子づくりの腕がいいので職長になっていましたが、この兄の見舞いに行ってなんと3日後に、こちらも急逝。

この安五郎の息子が栄太郎です。

幼い頃から家族を養うために父と一緒に働いていた孝行息子の栄太郎は、屋台で熱々の金鍔を売って生計を立てていたと言います。

「ああ、小腹が減ったなぁ。おや、いい匂いがするねぇ」
「栄ちゃんのとこの金鍔だよ。あの若さで家族の面倒を一人でみているそうだよ」
「えらいねぇ、どれ、1つもらおうか。この、カリッとしたところが何とも言えないね、味はもちろんだが、大きさが丁度いいね」
そんな会話があったかもしれません。

日本橋は江戸の台所、たくさんの荷物が運ばれ、それを担ぐ軽子(かるこ)と呼ばれる肉体労働者が、味が良く、さっと食べられて腹持ちがいい、「栄太郎の金鍔」をひいきにしたのだとか。

その時はまだ井筒屋を名乗っていた栄太郎でしたが、こちらもやはりところの人々に「栄太郎の金鍔」と言われることが多かったためか、現在の場所に店を構えて数年後に店名を「榮太樓」にしたと言われています。

創業以来、200年あまり。江戸の人たちにかわいがられた「榮太樓」をぜひ訪れてみて下さいね。

取材・文:都野雅子