入れ替わりの激しい小町エリアを離れて、八幡宮から金沢八景へ向かう途中。金沢街道沿い、筋替橋跡のそばにあるのが「旭屋本店」です。
白いタイル張りのビルの1階にあって流鏑馬の顔出しパネルやガチャガチャなどが店頭に置かれているので、比較的新しいお店かと思いきや、鎌倉市内で3本の指に入るほどの歴史を持つ和菓子店。
現在、4代目と5代目が守る地元にそれと知られた老舗のお店を紹介します。
- 1.今年で創業117年。4代目と5代目が守る和菓子店
- 2.アイディアマンの2代目考案の「実朝最中」に白羽の矢
- 3.人気の俵型の豆大福は1つ1つ手包み
- 4.夏でも冬でもよく売れるくずバーはご当地ならではのネーミング
1.今年で創業117年。4代目と5代目が守る和菓子店
今から117年前、旭屋本店の始まりは初代が現在店舗のある八幡宮からもほど近い雪ノ下で寺子屋と茶店を経て、2代目である隆三郎さんが和菓子を作り始めたと言います。
戦後まだ間もなく、物資も少ないなか和菓子やパンも作っていたそうです。
鎌倉で昔からある和菓子店といえば、長谷の「力餅家」さん」と長谷にある「恵比寿屋」さん、そしてこの「旭屋本店」。
店名の由来は朝比奈から上がる朝日がよく当たっていたから。なんだか当時の風景が浮かぶようですね。
2代目は鎌倉の青年会でも中心となる人物だったそうで、鎌倉にある石碑の建立にも携わっていたと言います。
ちょうど「旭屋本店」の前にも「筋替橋」の石碑があり、以前は金沢へ向かう道、その昔の鎌倉の中心地である小町大路、小町通りの方へ続く横大路と、吾妻鏡にも登場する鎌倉十橋の1つでもあります。
2.アイディアマンの2代目考案の「実朝最中」に白羽の矢
様々な方面でも活躍した2代目がつくり、昭和40年に開催された第16回全国菓子大博覧会で金賞受賞したのが「鎌倉源氏最中」。
発売された当初は「実朝最中」という名前でしたがこちら最初から3種類あり、その全てが「実朝最中」だったため、「鎌倉源氏最中」に名称を変更し、茶色でつぶあんの「頼朝最中」、緑でこしあんの「実朝最中」、そしてピンクで白あんの「政子最中」とそれぞれ名付けられました。
この最中の誕生のきっかけは、当時八幡宮にお供え餅やお菓子などを納めており、そのお菓子を気に入った宮司さんが2代目をとても贔屓にして下さり、「実朝最中」の名称と、上宮にある八幡宮の額の鳩の描かれた文字を使用して良いという許可を特別に頂いたという由来があります。
「旭屋本店」では、あんも自家製。軽い食感の最中と上品な甘みのあんの組み合わせは絶妙です。
3.人気の俵型の豆大福は1つ1つ手包み
また、もう1つある看板商品が「豆大福」。全て手包みをしていますが、「旭屋本店」の豆大福は俵型。
毎朝、あんを炊き、餅で包み、最後の包装まで、文字通り家族総出でつくっています。
薄めの餅生地にあんというイメージが浮かぶと思いますが、こちらの大福はたっぷりとした餅にあんが包まれています。
このお餅が柔らかいので食べやすく、塩味の豆とあんの甘さがちょうどいい塩梅。大ぶりな大福ですが、この柔らかさのためあっという間に胃袋に納まってしまいます。
そしてまだ食べられるくらいあっさりと後味が軽いのが特徴です。
4.夏でも冬でもよく売れるくずバーはご当地ならではのネーミング
「夏だけではなく冬でもよく売れる」5代目の石井智也さんが教えてくれたのが12種類もある「くずバー」。
面白いのがそれぞれ、商品に鎌倉の地名や人物の名前が付いているところ。最中にもあった頼朝、政子、実朝の名のついたくずバーもあります。
新しいものをどんどん取り入れていくのは血筋かもしれません。「旭屋本店」のある「大蔵頼朝商店街」は昨年60周年。店先の顔出しパネルもこの60周年を記念して設置されたもの。
観光客はもちろん、ご近所の方も親しみを持って訪れています。
ぜひ、鎌倉幕府に特に縁のある場所にある老舗の和菓子店に足を運んでみて下さいね。
取材・文:都野雅子