逗子・葉山・横須賀

菓道家「三堀 純一」が和菓子に新たなムーブメントを起こすまで【職人特集vol.1 前編《オモテ》】

都野 雅子

4.和菓子を挟んで心を学ぶ。海外に評価されるカルチャーを目指して

三堀純一

—— 今年から一菓流では検定を始めると伺っています。ブランドとして新たな一歩ですね。

今はコロナで少し遅れていますが生徒さん達が待っていてくれるので、行う予定です。流行りのリモートがあるじゃないか?!と思われる人もいるかもしれませんが、自分が1番大切にしていることの対極にあるのがリモートなので、それで始めたくなかった。

—— リモートではできない大切なものですね。

私がやりたい菓道教室っていうのは「キッチンでつくる」っていうものではないので。華道なら人と人との間にお花がある。茶道なら茶がある。武道なら武があります。それを介してお互いに何をするか。心の教育を学ぶかというのが道です。

だから、明確に伝えたいと思っていて賛同してくれる地元の横須賀と神戸に1つずつ、お寺の本堂を使わせて頂く予定です。

—— 素朴な質問として、菓道となるとやはり食べ方とか作法があるのでしょうか。そうでなくても、美しい煉り切りを見るとどこから食べていいのか迷ってしまいます。

製菓学校の時に学んだ「菓子は人なり」という言葉があります。

私は自分のトークショーでBGMとして臨済宗の般若心経を使っていますが、般若心経の基となった大般若経の中に「如是我聞」という言葉があるんです。「我は是の如く聞いた」と書いて如是我聞。私はこのように聞きました、という斜に構えた言葉から始まっているんですよ。

私はこう聞いたけど、あなたはあなたなりに聞いてねって。感じ方はお前の心次第だよって。
この如是我聞は「菓子は人なり」と同じで、受け取り方はその人なりということなんです。

だから目の前にあってもったいないって思うのも、食べてみたいって思うのもその人なり。
つまりそこではもう禅問答が始まっているんですよね。

—— 禅ですか。

突き詰めていくとお菓子はどうでもいいんですよね。ほとんど禅です。人間てね、迷いたい生き物だと思うんですよ。迷いを楽しんでいる。

結局、こうしなさい、こう食べなさいっていうのが一番考えなくて楽なんですから。
でもそれって1番残らないんですよ、「心」に。

このコロナショックで、自分なりの価値観とかが重要視される時代がくる。みんな不安だから指針を示して欲しくて、理想論がまかりとおってきてましたけど、人間は本来、汚くて未熟な生き物。過度な理想論っていうのが現代社会の心を窮屈にするんですよね。

人に迷惑をかけられないとか。もっとだらしないのに。無理に細分化したルールに合わせると心が窮屈になるばっかりで、そうすると先進国になればなるだけ逃げ場をなくしてしまう。

命を得て食してそして朽ち果てるまで、その間に汚いこともある。だらしなさも全て受け入れて自分がある。それこそが責任を自覚した人の生きるべきスタンスだと思うんです。

—— 今までにない事態に遭遇して、自粛生活になって確かにいろいろ考えさせられる時間ができて、ゆっくり自分と向き合うことが足りてなかったなと思うこともありますね。

これからはもっとマスの狭い小コミュニティになっていくと思うんですよ。なぜ寺でやるのかっていえばそこに小さな限られたマーケットができる。

昔のお寺ってこういうことだと思うんですよ。村のハブ機能を果たしていたのが寺。だからオンラインサロンとかありますけど、あれは現代版のお寺を作ろうとしているんですよ。オンラインって言っているけど実際はオフラインですからね。クローズにして腑に落ちた人達がお金払って学びを得ている。

—— どんどん話が膨らんできますね。菓道という「道」にこだわる理由がわかってきた気がします。菓子を通していろいろな学びを得る場を開いたということですね。

老いるのもそれも自然の摂理。自分の老後を考えた時に、あんこ玉をコロコロってやっただけでも将来「あの三堀がやったあんこ玉だぞ!?」っていう対価をもらえるような未来に繋がることを今、やるのが自分の仕事。

70、80になった時「なんだ!?このあんこ玉」って言われたらそれは40、50の自分がサボったなってことなんです。

延期になりましたが、2020年のオリンピックイヤーを目安にしていたところもあります。海外からたくさんの人がくる。その時に海外からくる人達が、日本の情報を調べてきて三堀をみたいって言わせたいですね。

三堀純一

取材・文:都野雅子

  • 今回インタビューした 菓道家「三堀 純一」をもっとよく知りたい方は、
    以下の公式ホームページをぜひご覧ください!

    菓道一菓流 公式ホームページ