逗子・葉山・横須賀

菓道家「三堀 純一」が和菓子に新たなムーブメントを起こすまで【職人特集vol.1 前編《オモテ》】

都野 雅子

2.和菓子に新たなムーブメントを。

三堀純一

—— 海外でも広く活動されていますが、それはパティシエと同じように海外の評価を呼び込みたいというのが大きな理由ですか?

私が菓道家として活動を始めた頃、いろんな有識者の方に、「パリで挑戦したいです」って相談したんです。そしたら「パリには呼ばれるまでいっちゃダメだ」って言われました。

—— 自分から売り込んじゃダメだってことですか。

その人は20年以上ドイツに住んでいてパリで仕事している人なんですけど、あともう1つ言われたのが「パリには1人で行きなさい」って。グループでいっちゃダメだと。

—— 1人で行きなさい、っていうのは?

これ、認めたくないことですけど感触として感じることは、日本人を含むアジア人が白人圏で何かしら自国のカルチャーを見て下さい、ってやると地元の方ではなく現地に住んでいるか旅行しているアジア圏の人が見にくるんです。
そうすると地元の人から見ると、同じ民族が集まって何かやってるな、としか思われない。

私がパリでやった時も50人くらいのうち、白人の方は2人くらいしかいなかったです。ほとんどパリ在住の日本人。

だからこそ、パリの人達のフィールドに呼ばれないとお前はちゃんとフェアに評価されないからって言われて。

「おまえは偏東風に逆らって偏西風で行け」って言われたんですよね。「シルクロードを遡れ」とも言われました(笑)

—— すごい言葉の響き!ということは偏東風に逆らって行かれたのですか。

だから中国から香港に行って、ベトナム行って、タイに行って、ちょっとずつ西に近づいていって、基盤となったのが香港でしたね。香港やバンコクってヨーロッパのハブ都市になっている。

世界の富豪が集まっている場所にマーケティングに長けている人達が情報を探しに来ていて、ハイエンドなイベントにピックアップされるとそういう方々の目に止まる。

バンコクではじめてサロン・ド・ショコラに声がかかって、その時に間に入ってくれたのが辻口さん。費用もかかるし、とりあえずうちのブースを貸してやるからやってみろ、って言って下さって。

確かに和菓子のパフォーマンスって見たこともないものだったので、お客様の反応はとても良かったんですよね。

ただ実演していただけだったんですが、ありがたいことに、エスパスジャパンに日本の枠があって、30分だけ毎日頂くことができたんです。そこにはほとんどアジア人がいない、つまり私にとって初めてのジャッジになって。

三堀純一

現地のショコラの祭典を楽しみに訪れたフランスの人達が評価してくれて、それから3年連続で呼ばれて、今では会場の真ん中の大きなブースがもらえるようになりました。

菓道家・三堀純一としての肩書きが、アーティストとしての認知だけじゃなくて需要が生まれてオファーが入ってくるようになったんです。

—— どんどん何か見えない力に引き寄せられている気がしてきます。活動を続けて菓道家という言葉が浸透してきたということですね。

なんで僕がわざわざ着物を着て、「非売品です」といって売り物にならないような
煉り切りを作ってきたかというと、和菓子っていうもののブランディングをしたかったんです。

ブランディングって教育だと思うんですよ。コーヒーもそう、ワインもそう。日本酒もそう。

いろんな芸術がパリから発信される理由は、フランスの人達のファーストプライオリティーが「夢」に特化していること。パリコレオークションはその典型で、あそこで「わぁかっこいい」って見ても町で実際あのドレスで歩いていたら変だったりしますよね。

あそこにあるのは「究極の非日常」。それを評価するいわゆる「おたく」と呼ばれるような専門家がそれをマーケット化して、だんだんトレンドになって広くおりてくるんです。

三堀純一