No Area

高級な駄菓子!? 矛盾した存在の伝統和菓子、「かりんとう」。

oriori編集部

11月の11日は多くの人が知っているお菓子の日となっています。SNS等でも毎年大きく取り上げられることが多い「ポッキー&プリッツの日」です。記念日としては20年以上の歴史を持ち、さまざまなイベントも開催される有名な日です。

それでは、その前日、11月10日は何の日か知っていますか?

残念ながら一般には認知度がそれほど高くないこの日は、「かりんとうの日」なのです。かりんとうの棒状の形が2本並んだ様子を数字の「11」に例え、砂糖の糖を「10」になぞらえた語呂合わせからこの日に制定されたようです。
設定したのは、油菓子やかりんとうを作っているメーカーの団体、全国油菓工業協同組合。全国のかりんとうメーカーではこの日に合わせて、組合を通して各地の子ども食堂に、かりんとうなどの菓子を寄贈しているそうです。子どもたちがかりんとうを食べて笑顔になってほしいという願いを込めた活動です。

というわけで、今回はこの伝統和菓子「かりんとう」について掘り下げて見たいと思います。

かりんとうといえば、庶民が慣れ親しんできた雑菓子、もしくは駄菓子の代表とも言える存在です。全国油菓工業協同組合のパンフレットでは、かりんとうを「日本の伝統菓子」として位置付けた上で、『カリントウ意外史』という漫画仕立てでかりんとうの歴史を説明しています。それによるとかりんとうが日本に伝わったのは奈良時代。遣唐使によって唐菓子の一種として伝来したと書かれています。

平安時代にはかりんとうは、貴族の食べ物として京都で独占されていたと言います。
歴史的には、かりんとうが一般的に広く広まるのは、江戸期の後期になってから。『カリントウ意外史』では、京都を中心に上菓子として用いられていた、かりんとうが、元禄年間に江戸にもたらされ、そこで独自の風味をもったものに改良されようとしたが、享保の改革の際、白砂糖は上菓子のみに使い、「かりんとう」などの駄菓子には黒砂糖のみの使用が許されたと記載されています。

確かに江戸期には、国産の黒砂糖が出回るようになり、黒砂糖を使った庶民的な菓子も出てきました。白砂糖を使った上菓子と対比される形で、雑菓子と呼ばれるようになるのは、18 世紀後半になってからだといいます。これにより究極的には、駄菓子(雑菓子)は、安く購入することができる菓子のことを意味するようになったのです。

ところが、この流れとは別に、南蛮菓子をルーツとする「かりんとう」の存在が認められています。それは「姫路のかりんとう」。播州駄菓子と呼ばれる姫路のかりんとうは姫路の菓子職人が藩命として長崎の出島まで派遣されて、オランダ商館で油菓子の製法を習得したものと言われています。そういえば、スペインには「ペスティーニョ」と呼ばれる蜂蜜を使った、かりんとうに似たお菓子があります。また、姫路のかりんとうにはペスティーニョ同様に、棒状でないかりんとうも存在しています。

この出自の異なる2つのかりんとうは、その食感も異なるそうです。関東のかりんとうは小麦粉に強力粉を使い、発酵させてふっくら揚げるものが多いそうです。一方、姫路では薄力粉を使ってうどんと同じように生地をこねるため、中身が詰まって歯ごたえがある仕上がりになっているといいます。

関東のかりんとうは明治初期には浅草の仲見世で評判となり、現在のようなタイプのものが生まれることになり、次第に製造業者も増えていきます。その後、機械の導入など製造設備の近代化を経て、現在の多種多様なかりんとうが現れるようになってきたのです。

2008年頃には、ちょっとしたかりんとうブームもあり、黒砂糖の代わりに上白糖を使用した高級品や、さまざまな野菜を原材料とした変わり種かりんとうなども登場しました。軽い食感と素材の風味が感じられる、洒落たパッケージに収まったかりんとうは手土産や、差し入れ品としても人々から多くの人気を集めました。

最後に、「かりんとう」という名称のお話。漢字で「花林糖」と書かれることが多いようですが、その由来はどうなっているのでしょう。お菓子を口にしたときに出る「カリカリ」という擬音に「糖」をつけたという説や、見た目が果樹である「花梨」の樹皮の色に似ているから名付けられたという説もあります。どちらが正しいのか裏付ける資料はありませんが、いつのまにか「かりんとう」という名前は定着し、愛されるようになりました。

というわけで、幅広い年代から好まれているかりんとう、この機会にお取り寄せで楽しんでみてはいかがでしょうか?

文:oriori編集部