鎌倉

【美鈴】手作業で紡ぎ出された芸術品 今も昔も鎌倉に愛され続ける小さな名店

山本千晶

1.路地裏に佇む4畳半の和菓子処

鎌倉の目抜き通り、若宮大路を一筋入ると、通りの喧騒を忘れさせる閑静な住宅街が広がります。今回ご紹介するお店は、路地の奥に見える小さな看板が目印。

看板を右に折れると、丁寧に敷かれた飛び石の先に小さな門が現れます。

ここがお店の入り口。
和菓子処『美鈴』は、鎌倉のゆったりと流れる時間を象徴するようにひっそりと佇んでいます。

『美鈴』の店内には、多くの和菓子店にあるようなショーケースがありません。4畳半ほどの畳のスペースに、その日に出す菓子が積まれ、さらにその一角には小さな机とおかみさんの姿が。

朗らかで温かく、でも控えめなおかみさんは、「主役は菓子だから」とご自身が表に出ることはされませんでした。しかし私たちの話に応えながら、休むことなく菓子折りを包む姿は実に凛々しく、『美鈴』の菓子を物語るような存在にも見えました。

2.全工程を手作業にこだわって

『美鈴』で提供する菓子は、2種類です。
ひとつは、和菓子の定番「上生菓子」。


上生菓子6個 1,800円

四季の美しさを感じさせるのは、上生菓子ならでは。左上のもみじは、取材した時期(10月)らしく、紅に色づく一歩手前の儚いグラデーションが目を惹きます。その下の柿は、次の季節には病葉(わくらば)があしらわれるなど、購入する時々で季節の移ろいを感じることができます。

驚くべきはその味。「上品」と一言で表すのがもったいないほどの、必要最小限に抑えた甘さが繊細で、ほっと心が解けるような味わい。口の中の温度ですっと溶けるような滑らかな舌触りは、食べる人の心地よさを追求した作り手の思いをも感じさせます。

それもそのはず、47年前に今は亡き先代のご主人とおかみさんが創業してからずっと、『美鈴』の菓子は全ての工程を手作業で行っているのです。現在はおかみさんと息子さん、2人の職人さんの手だけで作り上げられています。

ひとつの上生菓子を作るにも、3日間の時間が必要だそう。白あんの豆は一升ずつ鍋で煮て、練りの作業も機械を使わず行われます。できあがった餡は一晩寝かせることで、しっとりと滑らかに仕上がるのだとか。

もうひとつ、『美鈴』では12ヶ月ごとに異なる季節の和菓子を楽しむことができます。10月の菓子はこちら。


栗羊羹 3,000円

10kgの栗を剥く作業から全て手作業で作られる栗羊羹は、竹の皮に包まれています。口にすると竹の香りがほんのりと感じられ、栗本来の優しくも力強い味わいが広がります。

その他の季節の和菓子は、雪が積もった藁葺き屋根を模した12月の「木枯」、食通で知られた作家の小島誠二郎も愛した3月の「わらび餅」など、四季折々の情感を味わうことができます。

限られた人数で手作りしている菓子は、基本的に予約が必要です。

3.鎌倉で育ち、鎌倉を育てる名店

昭和47年に創業してから変わらぬ味を提供する『美鈴』は、鎌倉の地で生まれ、鎌倉の人々と共に歩んできました。

のれんや菓子のケースにあしらわれた3つの鈴を模した『美鈴』の絵柄は、日本画家で陶芸家の小泉淳作によってデザインされたもの。小泉淳作は鎌倉で生まれ育ち、のちに鎌倉の名所・建長寺の天井画「雲龍図」を描いたことでも有名な人物です。彼が大きな作品を手掛ける以前から『美鈴』と親交があったことで、お店の象徴となるオリジナルの絵柄が生まれました。

栗羊羹の箱を包むのは、鎌倉で晩年を過ごした放浪の歌人・山崎方代の歌を記したもの。『美鈴』には、鎌倉を愛したあらゆる人たちの思いがそこかしこに息づいています。

創業から50年余り経った今、鎌倉・鶴岡八幡宮のお茶会用にと、340個の菓子の発注が来ることもある『美鈴』。先代とおかみさんの夫婦2人で始めた小さな和菓子処は、鎌倉で育ち、自分たちの目の届く分だけの菓子を地道に丹念に作り上げてきました。そして今、規模はそのままに、しかしながら存在感のある店として、鎌倉の地に凛と佇んでいます。

和菓子を知る人もそうでない人も、そして鎌倉を知る人もそうでない人も、一口食べるとそれぞれの深みと味わいを感じることができる、他にはにない名店です。

取材・文:山本千晶/撮影:土肥さやか